長門有希と順列都市
今、あるアニメーションを見ているのだが、面白いシーンを見つけた。
手元を拡大すると、
「順列都市」とある。
この小説は、実在する小説であり、オーストラリアのSF作家、グレッグ・イーガン作の、仮想世界と人工生命体をテーマとしたハードSFである。私はこの小説がSF小説の中では一番のお気に入りで、友人にSFを話す機会があると必ずと言っていいほど、読む事を勧めているSF小説なのである。
実はこのアニメーションにおいて、この回では、主人公の人格が変わっているのだ。スピンオフ作品なので、オリジナル作品を見た人から見ると、「人格が変わった」というよりも「オリジナル作品の人格に戻った」と言った方がよいだろう。
前回まではスピンオフ作品用の人格設定(というよりもキャラクター設定)であり、のほほんとしたラブコメ風だったのだが、この回に来て「人格が戻った」ことにより、メインストーリーが始動し始めた事が伺える。ちなみに他のキャラクターは全て、スピンオフ用のキャラクター設定であり、それは今後も変わらない(はず)。
私はオリジナル作品を見ていたので、前回までのラブコメ風ストーリーのまま最後の回まで行く事はないだろうと踏んでいたが、やはり、そうだった。オリジナルやその他の作品群を含め、このシリーズはいろいろと「曰く(いわく)」があるのだ。その象徴が「エンドレスエイト」事件である。ここでは詳細な事は書かないが、ネットで調べてみると面白い事がでてくるだろう。オリジナル作品の劇場版も多少、関係してくるかもしれないが、内容は覚えていない。私の遠い昔の記憶にある「うる星やつら ビューティフル・ドリーマー」が近いかもしれない。
つまり、「消失」とは何を意味するのか?
主人公の人格変貌と「順列都市」。
オリジナル作品とこのSF小説を知ってる方にとっては、酷く暗示的な演出である。
それにしても実在する小説の表紙をこれほどあからさまに演出で使ってくるあたり、現代のアニメーションは怖いもの知らずだなぁと思った。「順列都市」は名作ではあるが、一般向けでは決してない。コアなSF好きが読む小説なのだ。