ケツァルコアトルって何?

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迫害とテロリズムの罪と罰、そして、正義とは?<終章>

<終章>

なぜ、こんな重いテーマを取り上げたのか?
私自身は「日本」という国に住み、「日本人」として生活していながら、なぜ、迫害だのテロリズムだの正義だのと論じたのか?

日本という国は戦後70年を迎え、「集団安全保障の容認」、「積極的安全保障」、「テロリストとは交渉しない」、「テロには屈しない」といった言葉が飛び交っている。
現在進行形の国の方針や政策について、いくら興味が少なく、政治に疎い私でも、さすがに「危ない方向に傾きつつあるな」という事を実感している。

日米安全保障条約自衛隊のそもそもの成り立ち(警察予備隊)、現代の国際社会及び、日本国における自衛隊の在り方、憲法第9条という不確定装置の有効性、そして、私達日本人の「選択」。
様々な要因が絡み合って、様々な懸案事項が今、ひしめき合っている。
そんな有り様なのに、関連法案はどんどん閣議決定されてゆく。

その一方、海外では連日の如く、テロのニュースが流れている。
世界の警察として自負しているアメリカは様々な地域で軍事活動を実施しているが、日本国は同じテンションで同調して良いものか、考えさせられる。
同盟国であるアメリカが「テロリストとは交渉しない」、「テロには屈しない」と言うのは、アメリカ自身が信ずる正義なのだから、他国の日本国がとやかく言う義理はない。
しかし、日本国がアメリカの同盟国だからと言って、まったく「同じテンション」で「テロリストとは交渉しない」、「テロには屈しない」と安易に同調するのは違う気がするのである。

今回の法案の中には、自衛隊が戦闘地域における弾薬の補給や物資の運搬を担当することも含まれている。
連日、テレビに登場する様々な評論家のコメントでは、「戦闘に巻き込まれる可能性が高まるのではないか?」といった意見が出ている。
私はこれを聞いた時、「高まる?そんな悠長なものではない!」と思った。

弾薬の補給や物資の運搬を担当するということは、

「米軍の兵站に自衛隊が組み込まれる」

というとこを意味している。

「兵站」とは、前線で実施される軍事(戦闘、偵察、制圧等)、前線を維持する為の補給基地(ベースキャンプ)の設営、弾薬や食料の補給活動、兵士の訓練や休息等々、戦略に基づいた前線を維持する為の一連の軍事的活動の運用を意味する。

軍事的戦略において、補給路を絶つ、或いは補給基地を破壊する、といった軍事作戦は敵の前線を押し下げる場合のセオリーである。
補給路を絶たれたり、補給基地が破壊されれば、弾薬が切れ、食料も絶たれた前線を維持することはできない。
それゆえ、補給基地や補給活動は狙われる可能性が最も高いのである。

もし、補給活動中に戦闘状態に陥った場合、自衛隊は果たして自衛の為の殺害を実行することが可能なのか?
同盟国の兵士である米兵を守る為に、自衛隊は果たして殺害を実行することが可能なのか?
少年兵をテロリストと見なして殺害を実行することが可能なのか?

考えさせられる。

彼ら(アメリカが適用しているテロリズムを実行する者)に自衛隊員による威嚇射撃は恐らく通用しない。
専守防衛を貫くには、あまりにも厳しい選択を迫られる局面もでてくるだろう。
自衛隊員に死傷者が出て、初めて防衛的攻撃をすることになるのではないか?
自衛隊員は軍人ではない為、自衛隊員が死亡した場合、「戦死」ではなく「殉職」なのだ。

日米同盟を根拠とし、戦闘地域に派兵される自衛隊員にとって「何の為に命を賭けて戦うのか?」、自衛隊員の気持ちは私個人には計り知れない。

「政治には興味がない、上官に従って適切に迅速にミッションを遂行するのみ」という模範的回答があるかもしれないが、果たしてそれで割り切る事が現実にできるのか?

本来、軍人とは徹底したリアリストであり、指揮/命令系統に従ってミッションを遂行する。
それが例え前線を維持する為に人的犠牲を払うことがあっても、或いは、到底、戦闘とは呼べない一方的な虐殺行為になるとしても、軍人はミッションを遂行する。

だが、自衛隊は軍ではない。
確かに軍事力を備えてはいるが、そこに宿る精神は到底、軍人のそれではない。
専守防衛」に込められた本来の精神をあらためて問いたい。

そういった諸々の事を最近、考えてきた結果、「まずは原点に立ち戻って、なるべく公平に、なるべく第三者的に、なるべくシンプルに」といった視点で、この文章を書いてみた。

- 以上 -